衝撃的誘惑スパイラル

2024年3月11日

f:id:ensui_2:20240311221707j:image

起きた瞬間に「あ、今日だ」と思った。眠い頭で指折り数え、もう13年経ったのかと静かに思い出す。高校1年生だったあのときも、東京で働いているいまも、私はふるさとのために何かをできたと思えたことはない。

 

昨年別の土地で生まれ育った人と結婚することになり、両家の顔合わせをする食事会をひらいた。そこでふと震災の話になった。

あの日の記憶の色やその濃さはもちろん人それぞれだ。内陸部で暮らしていた私たち家族にも、私たちなりの悲しくて寂しい記憶がある。

それでも母は、「私たちよりもよっぽど辛い思いをした方がいるので」と多くを語らなかった。県外の人に震災について話す母を見るのははじめてで、その姿をやけにはっきりと覚えている。

 

13年前を思い出すときに、震災があった3月11日のことよりも、そのあとの日々のことをずっと色濃く思い出す。

テレビやネットがつながらず、翌朝届いた号外を一目見て「実家がない」と泣き崩れた、隣家に住む同級生のお母さんのこと。

友人たちとも連絡がつかず、あの子は無事だろうかと案じることしかできない自分が腹立たしくて、冷たいフローリングに敷いた布団の中でまるくなって泣いていたこと。

やっと電気が復旧した日にテレビをつけ、過去に録画した大河ドラマを見て、知っている日常の香りに涙が出たこと。

 

だんだんと日常を取り戻したように見えるけれど、取り戻したと思っている日常ははっきりと「震災のあとの日常」だ。陳腐な表現かもしれないが、あの日を境に世界がぐるりと変わった。

あの日を示す符号として繰り返される「サンテンイチイチ」という音だけが、いつまでも違和感をもって耳に残る。

 

あのときもいまも私は無力で、のんびりと日々を過ごしている。そんな私でも、毎年3月11日はどこか気持ちが落ち着かない。

どんな日だって、誰かにとっておめでたい日であるとともに、誰かにとっては忘れることができない「世界が変わった日」だ。

祝福と祈りは決して背反するものでないと思っている。