衝撃的誘惑スパイラル

ただのOLが誘惑に踊らされる日常

ランチ1000円で見える態度/「しあわせのねだん」角田光代

 

 

 

私はランチを決められない。

 

特に平日。1人外出先で時間がない時なら牛丼屋や立ち食い蕎麦屋にすんなり入れるのだけれど、一日内勤で同期とランチに行く日なんかには、全くもって役に立たない。

いつも「昨日の夜はカレーだったからカレー以外で…」くらいしか希望を言えない。希望を言えないというより、頭のなかがぐるぐるして希望がわからなくなってしまうのだ。

 

 

何故決められないのだろう、と一度考えたことがある。

結論から言うと、私は「後悔したくない」のだ。それも、自分が決定したという責任のもとで。

本当はあれこれ食べたいものがある(はず)。しかし、何とも私はけちんぼなところがあるので、たかだか1000円程度のランチすら後悔したくない。うんうん考えた末にあまり美味しくない料理を食べた日なんかには、午後のやる気が地の果てまで落ちてしまう。

 

 

だから、他人に決定権をなすりつけてしまうのだ。「なんて嫌な奴!」と文章を書きながら自分でも思っているが、しようがない。自分で選んでまずい料理を食べるのと、他人が選んでまずい料理を食べるのでは、後悔の度合いが全く違うのだ。

他人が選んでくれた料理が万が一あまり美味しくなかったときには「美味しくないね~!でも選んでくれたし、ありがとう」くらいまで思える。何故かちょっと優しいし、寛容だ。だって私の代わりにうんうん考えてくれたんだもの。

 

 

結果として、私は1000円のランチで後悔したくないが故に、決定権を放棄してしまった。そして他人が選んでいれば、特に美味しくなくてもまぁ許せてしまっている。

でも、それが私の「ランチ 1000円」に対する態度だ。

それはつまり、「他人が選んでくれた時間 1000円」にお金を払っていることにもなる気がする。

 

 

角田光代さんのお金にまつわるエッセイ「しあわせのねだん」では、角田さんが長年書きためた家計簿をもとに、その出費に関する様々なエピソードを語ってくれる。食に美容に遊びに、お金を使うことが大好きな私にぴったりなエッセイだ。

 

 

すべすべクリーム 4500円、電子辞書 24000円、ラーメン 680円、などなど。

角田さんが教えてくれるのは、もちろん単純なモノに対する代金ではない。お金を払って得たその時間、その経験、気持ち。「物を買いたい」という気持ちの核の部分で、私たちは何を求めているのだろう。

 

 

お金の使い方というのはとってもパーソナルな話題だけれど、だからこそ知りたい一面でもある。そして他人が「ランチ 1000円」に対してどんな態度で考えているのか、なんだかちょっぴり気になるはず。

 

 

何を思って、何を求めて、そして何にどれだけお金をつかっているのか。思わず考えずにはいられなくなってしまうエッセイ。

「しあわせのねだん 506円(税込)」

さて、この506円に何を思おうか。

 

 

 

しあわせのねだん (新潮文庫)

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